親族挨拶
お母さん安らかに眠って下さい。

私たち4人の兄弟が生まれ子育てに一番手間のかかるとき、父は終戦後の大変な時の苦労が重なり不治の病に犯されてしまいました。

そのため、母は女手ひとつで良く頑張って私たち4人を育ててくれました。

10年間の看病の末、不治の病も治り細々と農業を営んで私たちを進学させてくれました。

夏は米とサツマイモの栽培出荷、冬は麦と菜種の栽培と休む暇も無かった母でした。

その子供たちは高校を卒業すると、経済的に助けようという気持ちから、みんな都会へ出してしまいました。

自分の子供が誰一人そばにいないと言うことは辛かったと思います。

そのような母の性格は、辛抱強く、物静かで、出しゃばらず、自分に厳しく、人には何でも許してしまう人でした。

父が亡くなった年の80歳を過ぎた頃、心臓病で倒れ、入院生活を続けるうちに少しずつ認知症がでてしましました。

心臓病も落ち着き自宅で生活できるようになってからは、デイサービスにお世話になり、皆さんのお陰で認知症の進行もずいぶん遅く一人で生活できるぐらいまで回復していました。

しかし、人の運命はわからないものです。

父と同じ12月にあっけなく息を引き取りました。

大した介護の世話もかけず、一人で父のところへ旅立ちました。

今までの苦労に報いる事もできないまま旅発たせた後ろめたさがありますが、どうかお母さん父さんのもとで安らかに眠って下さい。

最後になりますが、母の通夜並びに告別式においで下さいました方々、並びに、ご近所様、デイサービスの方々、皆様のご厚情を賜り、母に成り代わり深く感謝を申し上げます。これまで誠に有難うございました。

平成二十六年十二月十五日

鹿児島県薩摩川内市平佐町
喪主 岩元文一
外 親戚一同